はじめに
私が所持している伊勢物語影印本を順次翻字して行きます。伊勢物語研究の何らかのお役に立てれば幸いです。
現在の予定は
①愛媛県今治市河野美術館蔵三条西実隆筆本(Ph)
②宮内庁書陵部蔵冷泉為和筆本
③九州大学図書館蔵伝三条西実隆筆細川文庫本(Ph)
④伝尊鎮親王筆本
⑤九州大学図書館蔵伝藤原為家筆本(Ph)
⑥陽明文庫蔵伝中和門院筆本(Ph)
⑦永青文庫蔵伝一条兼良筆本(Ph)
⑧天理図書館蔵伝藤原為家筆本(Ph)
⑨天理図書館蔵千葉胤明氏旧蔵本(Ph)
⑩天理図書館蔵伝冷泉為相筆文暦本(Ph)
⑪千歳文庫旧蔵片桐洋一氏蔵蜷川智蘊筆本
⑫愛媛県今治市河野美術館蔵伝九条良経筆本(Ph)
⑬鉄心斉文庫蔵源通具本(Ph)
⑭本間美術館蔵伝民部卿局筆本
⑮大島雅太郎氏旧蔵伝二条為氏筆本
⑯紅梅文庫旧蔵伝藤原藤房筆本(Ph)
⑰慶長十三年刊嵯峨本第一種
⑱九州大学図書館蔵支子文庫本(Ph)
[(Ph)は写真複製本。伝藤原藤房筆本のみカラー]
それぞれの下に天福本を代表する学習院大学蔵伝定家筆本(武蔵野書院刊影印本・新典社刊影印本)と武田本を代表する松井簡治氏旧蔵静嘉堂文庫蔵本(白帝社刊影印本)の翻字を併せて掲載し異同を示す。
学習院大学蔵伝定家筆本
学習院大学蔵伝定家筆本は三条西家旧蔵本で学習院大学に寄贈されたもの。
蜷川(宮道)親孝から定家筆天福本を贈られた三条西実隆が晩年今川氏親に定家筆本を譲ることになって、その前に手許に置いておく本として定家筆本を書写したのがこの写本と考えられる。その後は代々三条西家に伝えられ、戦後になって三条西家から学習院大学に寄贈された。
箱に定家卿真筆と書かれた題箋が付いていた事から伝定家筆本と呼ばれるが定家の字ではなく三条西実隆筆とみられる。(鈴木知太郎氏はこの本について「三条西実隆の筆ではない」「筆者不詳」と書いているが、河野美術館蔵実隆筆本の筆跡と比べると老齢による筆勢の衰えなどはあっても同一人の筆跡と思われる。伊井春樹氏による河野美術館蔵実隆筆本の解説でも両本とも三条西実隆筆としている)。
定家自筆の天福本は明暦の大火で焼失したとされるので現在最も定家筆天福本を忠実に書写した本として多くの伊勢物語テキストが底本として採用している。異本と校合して校異を書き込んだ箇所が多数あるがこれらの一部は定家自筆本に既にあったもので、それ以外の多くは実隆もしくはそれ以後の人によるものと思われる。
ほとんど脱落や誤写が無い優秀な写本だが、晩年に書かれたものだけに一旦脱落して後から見直して気づいて補入したと見られる箇所も少くない(ただし107段の『また』の補入は実隆によるものではなく後人によるものか)。
天福本は定家本伊勢物語の中では最も遅く書かれたものなので、定家の伊勢物語研究の集大成と見られる一面がある一方で老齢に起因するミスとみられる天福本独自異文も若干はある。
また学習院本は本文の前に他本には無い次の前書がある。
此伊勢物語者京極黄門真跡
無雙之鴻寶也忝為
後花園院御秘本之處故相公
羽林實連朝臣哥道器量抜群依
叡感賜之然而不幸短命長祿
三年十月廿日薨逝矣于時十七歳
爰宮道親元年來眤近結膠
染之交存其舊好不附属此本
畢彼親元死去後依遺命
所返送予也
前内大臣〔花押〕
これをたにいまははなれていせのあまの舩なかしたる✼おもひとをしれ
(✼この部分、池田亀鑑氏の翻刻では『こゝろとをしれ』となっているが『こゝろ』には見えないので鈴木知太郎氏の読みに従った)
学習院本の影印本は武蔵野書院版(1963年)と新典社版(1975年)があり、一部の語句が片方の本では写っていないので要注意。
武蔵野書院版では写っていて新典社版には写っていない語句。
☆21段の41番歌(歌番号は武蔵野書院刊・新典社刊の影印本に拠る)の集付け『新古今』
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2016/10/20/013215
☆64段の校異の書込み『男女イ』
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2016/10/25/003249
☆93段の校異の書込み『ウ』
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2016/11/02/093043
新典社版では写っていて武蔵野書院版には写っていない語句。
☆83段の『つれ\/』の『つ』の左半分
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2016/10/30/230103
☆89段の校異の書込み『らめイ』
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2016/11/01/231106
※笠間文庫「原文&現代語訳シリーズ/伊勢物語」(永井和子訳注)の巻末に収められた室伏信助「学習院大学蔵伝定家自筆天福本『伊勢物語』本文の様態」によれば、本来90段の歌の横に貼り紙されていたものが剥がれて誰かが誤って89段の歌の横に貼り直したものかとのこと。確かに鈴木知太郎「校註伊勢物語」(武蔵野書院版)や「天福本伊勢物語」では90段の歌の横に『らめイ』が書かれている。そうなると、新典社版では89段と90段の両方に『らめイ』が写っているのは何故かという問題が出て来る。
[☆107段の補入の『また』は武蔵野書院版では『まこ』に見える]
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2016/11/06/210543
☆112段の『ことさまに』の『に』
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2016/11/07/201215
☆115段の校異の書込み『てイ無』
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2016/11/08/002614
☆118段の『いへりけれは』の『は』
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2016/11/09/094120
なお武蔵野書院刊の影印本「天福本伊勢物語」が出る前に1948年に鈴木知太郎校註「校註伊勢物語」(武蔵野書院)が出ていて、これは当時三条西家蔵だった伝定家筆本の影印の上部余白に校註を記したもので、この影印部分を見るとサイズがB6版と小さく紙質も当時の経済事情から良くないので(その後の訂正版ではA5版になり紙質も改善された)見づらいが、89段の『らめイ』と93段の『イ』以外は皆写っている。
静嘉堂文庫本
松井簡治氏旧蔵静嘉堂文庫蔵本は山田清市氏によれば後柏原天皇宸筆本を書写したもので、同じく後柏原天皇宸筆本からの書写とみられる尊鎮親王筆本とともに定家筆武田本の二次写本とされ、定家筆武田本やその一次写本が伝わっていない現在武田本系の最善本とのこと。誰が書写したのかは山田清市氏は触れていないので不明のようだ。所々磨耗によるものか字が判読できない所もある。
影印本は白帝社刊の「伊勢物語 影印本付」(1967年初版1975年訂正再版、山田清市編著)を使用した。
影印本では朱書きの文字は確認できないが古典文庫229の山田清市氏の翻刻によれば次の各段に朱書きによる校異の書込みがあるようだ。詳細は河野美術館本の各段の項を参照されたい。
〈9段・16段・23段・24段・27段・46段・52段・54段・58段・62段・64段・65段・69段・74段・78段・81段・87段・90段・96 段・101段・107段・111段・112段〉
異同は異同㈠・異同㈡・異同㈢の三つに分け、異同㈠は通常の異同、異同㈡は単純な誤写・脱落に起因するもの、異同㈢は仮名遣いの違いや音便の有無とし、漢字と仮名の違いや送り仮名の違い・漢字の字体の違い・『ん』と『む』の違いなどは異同とはしなかった。
異同のそれぞれの文を持つ本は異同㈠についてのみ示すことにしたが、ここでは私が確認できる下記の影印本・翻刻本のみとしたのでさらに詳しく知りたい方は池田亀鑑博士の「伊勢物語に就きての研究 校本篇」や加藤洋介氏「伊勢物語校異集成」を参照されたい。
☆天学習……天福本系学習院大学蔵伝定家筆本。影印本は武蔵野書院版・新典社版を使用。翻刻は多数出ているが池田亀鑑博士の「伊勢物語に就きての研究 校本篇」の翻刻が概ね信頼できる。
☆天冷泉……天福本系宮内庁書陵部蔵冷泉為和筆本。笠間書院刊の影印本を使用。翻刻は片桐洋一氏〈「異本対照伊勢物語」和泉書院〉、鈴木知太郎氏〈「伊勢物語(天福本・谷森本)」古典文庫64〉〈「校註伊勢物語」笠間書院〉、鈴木知太郎氏・田中宗作氏共編〈「伊勢物語付業平集」桜楓社〉がある。鈴木知太郎氏の古典文庫本の解説では影印本では確認できない朱による書込みについても触れている。
☆天河野……天福本系愛媛県今治市河野美術館蔵三条西実隆筆本。愛媛大学古典叢刊1として刊行された影印本を使用。
☆天細川……天福本系九州大学図書館蔵伝実隆筆細川文庫本。在九州国文資料影印叢書9として刊行された影印本を使用。
☆武静嘉……武田本系松井簡治氏旧蔵静嘉堂文庫蔵本。白帝社刊の影印本を使用。翻刻は山田清市氏による古典文庫229(1966年)、神野藤昭夫・関根賢司氏による「新編伊勢物語」(1999年、おうふう)が出ているほか、ネットにも渋谷栄一氏による翻刻が掲載されている。山田氏の翻刻では影印本では確認できない朱書きの書込みも書かれている。
☆武尊鎮……武田本系尊鎮親王筆本。おうふう(桜楓社)刊の影印本を使用。
☆武陽明……武田本系陽明文庫蔵伝中和門院筆本。思文閣刊の影印本を使用。
☆武永兼……武田本系伝一条兼良筆永青文庫本。勉誠社刊及び汲古書院刊の影印本を使用。
☆武雅親……伝飛鳥井雅親筆本。武田本の奥書がある。翰林書房刊の長谷章久博士所蔵王朝文学叢書2の影印本を使用。
☆根智蘊……根源本系の千歳文庫旧蔵現片桐洋一氏蔵蜷川(宮道)智蘊筆本。新典社刊の影印本を使用。
☆根九家……根源本系の九州大学蔵伝藤原為家筆本。古典文庫244の影印本を使用。
☆根理家……根源本系の天理図書館蔵伝藤原為家筆本。八木書店刊の影印本を使用。
☆根千葉……根源本系の天理図書館蔵千葉胤明氏旧蔵本。八木書店刊の影印本を使用。
☆根文暦……根源本系の天理図書館蔵伝為相筆文暦本。八木書店刊の影印本を使用。
☆根為相……根源本系の鉄心斉文庫蔵伝為相筆本。古典文庫397の山田清市氏による翻刻を使用。
☆根承久……根源本系の鉄心斉文庫蔵承久三年奥書本。古典文庫397の山田清市氏による翻刻を使用。
☆根良経……根源本系とみられる愛媛県今治市河野美術館蔵伝九条良経筆本。愛媛大学古典叢刊12として刊行された影印本を使用。
☆定嵯峨……定家本系の天福本と根源本の折衷本とみられる慶長13年刊嵯峨本。和泉書院刊の影印本を使用。
☆定支子……九州大学図書館蔵の支子文庫本。支子文庫は九州大学名誉教授だった故田村専一郎氏の蔵書で没後九州大学図書館に寄贈された。近世中期の写本で慶長14年刊嵯峨本に近い本とされる。在九州国文資料影印叢書10の影印本を使用。
☆大為氏……大島本系の大島雅太郎氏旧蔵伝二条為氏筆本。岩波書店刊の影印本を使用。
☆大谷森……大島本系の宮内庁書陵部蔵谷森善臣氏旧蔵本。古典文庫64の翻刻(鈴木知太郎氏)を使用。
☆大阿波……大島本系の宮内庁書陵部蔵阿波国文庫旧蔵本。片桐洋一氏の「異本対照伊勢物語」(和泉書院)の翻刻を使用。
☆塗民局……塗籠本系の山形県酒田市本間美術館蔵伝民部卿局筆本。ほるぷ出版刊の影印本を使用。翻刻は「日本古典全書・伊勢物語」(南波浩著、1960年、朝日新聞社)と「伊勢物語に就きての研究・校本補遺篇第三部」(福井貞助著、1961年、有精堂)があり、「伊勢物語塗籠本の研究」(市原愿著、1987年、明治書院)にも定家本・大島本との校異一覧が載っている。
☆参為家……屋代弘賢の「参考伊勢物語」(文化14年=1817年刊)に北村季吟著伊勢物語拾穗抄を本文として異同が記された五本の一つで「参考伊勢物語」では為家卿筆本(本文中では略して家本)と記されている。写本そのものは現在所在不明なので「参考伊勢物語」の注記によってしか内容を知ることができないが、定家本とは違う系統の本と考えられる。
昭和3年刊の岩波文庫本を使用。
☆非通具……山田清市氏が非定家本系としている鉄心斉文庫蔵源通具本。築地書館刊の影印本を使用。
☆非実践……非定家本系とみられる実践女子大学蔵絵巻本。絵巻本ゆえか収載された段は一部のみ(69・77・9・4・5・1・81・82・83・114・65・6・117の続き〈定家本には無し〉・24・14・12・66・8・23・11段)だが69段に始まり11段で終る小式部内侍本と同じ順序になっているのが注目される。古典文庫229の山田清市氏による翻刻を使用。
☆非藤房・武兼良……87段の途中『なみいとたかし』までを藤原藤房が書写し、藤房が消息不明になった後に一条兼良が書き継いで一本にした本とされる写本。伝藤原藤房筆の部分について大津有一氏・福井貞助氏は他のどの系統にも属さない本としているが、一条兼良が書いた部分は藤房が書写した本とは別の本を書写したものと思われ、校異から武田本系統と見て、藤房が書写した部分は「非藤房」兼良が書写した部分は「武兼良」として区別した。古典文庫624の影印本を使用。この古典文庫624の本には吉田幸一氏による翻刻も同時に収められている。
☆非泉州……広本系の伝本だったが戦災で焼失した泉州本。中田武司著「泉州本伊勢物語の研究」では焼失前に刊行された武田祐吉氏による翻刻が中田武司氏蔵天福本系伝尊鎮親王筆本との校異の形で示されているのでこれを使用した。
行の切り方、仮名遣い、漢字などはできる限り底本通りとするが、ネットでは表示できない漢字は近い字体で代替する。(『恋』は多くの場合、『戀』の上に『亠』が付いた字体で書かれていてこの字体はネットでは表示できないので、『亠』が付いていることを考慮して『戀』ではなく『恋』とした)
磨耗等で判読できない部分は■で示し、ミセケチは
〝〟で、補入部分は文中の[]内に、行間書込は右に書かれているものは上の、左に書かれているものは下の[]内に示す。
濁点は表示しない。原典には原則濁点は付されておらず清濁をめぐって見解の分かれている箇所もあることを考慮した。句読点も原典には無いので付けないこととした。
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河野美術館蔵三条西実隆筆本について
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2017/02/27/170047
宮内庁書陵部蔵冷泉為和筆本について
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2017/03/23/151026
九州大学図書館蔵伝三条西実隆筆細川文庫本について
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2017/04/14/030719
伝青蓮院尊鎮親王筆本について
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2017/05/05/032017
九州大学図書館蔵伝藤原為家筆細川文庫本について
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2017/08/06/161433