伊勢物語翻刻 by 片島諒

伊勢物語各種影印本の翻刻を行います

③九州大学図書館蔵伝実隆筆細川文庫本について

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九州大学附属図書館蔵宇土細川家旧蔵伝三条西実隆筆細川文庫本伊勢物語

九州大学蔵細川文庫本の伊勢物語としては後で取り上げる伝藤原為家筆本(整理番号545イ64)が有名だが、この本は整理番号545イ60で伝三条西実隆筆とされる本。1979年に今井源衛先生華甲記念在九州国文資料影印叢書9として写真複製本が限定600部製作された(非売品)。

原本は縦17.0cm横12.5cmとのことで、影印本では縦12.1cm横18.9cmの画面に見開き2ページ分づつ収めているのでさすがに画面が小さくて窮屈な感じだ。

三条西実隆筆本とされているのは畠山牛庵及び九代了意による三條西内府實隆公とする極札があるためで解説の田坂憲二氏も「本文の筆蹟から見ても、明らかに三條西実隆自筆本」と述べている。しかし奥書は天福本の奥書のみで筆者名は記されておらず、私の印象ではこの字は実隆の字では無いと思う。

細川文庫本
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河野美術館蔵実隆筆本
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上の二つの『世』を比較しても別人の筆と思われる。
そして三条西公条筆とされる證本源氏物語夕顔の字はこんな感じだ。
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画像の印象からも私は三条西実隆よりも公条の筆蹟である蓋然性がはるかに高いと思う。またこの本が宇土細川家にあったということは細川幽斎が三条西実枝から古今伝授を受けた関係から実枝が自ら書写して幽斎に与えた本である蓋然性も無いとは言えないが実枝の筆蹟を確認できる資料が手許に無い以上何とも言えない。現時点では私は三条西公条筆本を実枝が幽斎に与えたものと考える。


この本について田坂憲二氏は(実隆が)定家筆天福本から直接書写した一次写本であるとしている。もしその通りならこの写本は学習院大学蔵伝定家筆本・宮内庁書陵部蔵冷泉為和筆本・河野美術館蔵三条西実隆筆本・池田亀鑑氏旧蔵法橋玄津筆本・倉野憲司氏旧蔵冷泉為和筆本に続く六番目の定家筆天福本の一次写本ということになるのだが果してどうだろうか。

次の画像は細川文庫本の第五段『いけともえあはて』の所の校異の書込み。

細川文庫本
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これが学習院本における同じ箇所の校異の書込みに酷似している。

学習院
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しかもこの箇所の校異の書込みは河野美術館蔵実隆筆本・宮内庁書陵部蔵冷泉為和筆本には無いので定家筆天福本に既にあった校異の書込みとは考えられず、細川文庫本は学習院大学蔵伝定家筆本を書写した二次写本と考えざるをえない。

次に学習院本との異同を見ると、本文の異同は次の九箇所。

★9段………細川文庫本『なりはしほりのやうに』
     学習院大本『なりはしほしりのやうに』
★23段……細川文庫本『しら波たたつたやま』
    学習院大本『しら浪たつた山』
☆33段……細川文庫本『さしてしるへく』
     学習院大本『さしてしるへき』
★41段……細川文庫本『あてなるおとこもたりける』
    学習院大本『あてなるおとこもたりけり』
☆72段……細川文庫本『おとよとの』
     学習院大本『おほよとの』
★75段……細川文庫本『さしてつれなかりけれは』
     学習院大本『ましてつれなかりけれは』
☆78段……細川文庫本『いしたてまつれりき』
     学習院大本『いしたてまつりき』
☆81段……細川文庫本『きにけんとよめりけり』
     学習院大本『きにけんとよめりける』
★107段……細川文庫本『わかけれは』
     学習院大本『[また]わかけれは』
他に仮名遣いが違うのが
★12段……細川文庫本『いていにけり』
     学習院大本『ゐていにけり』 
★77段……細川文庫本『心はへ』
     学習院大本『心はえ
★78段……細川文庫本『あをきこけ』
     学習院大本『あおきこけ』
☆101段……細川文庫本『人おほみ』
             おイ 
     学習院大本『人をほみ』
(※★は田坂憲二氏の異同一覧に載っていないもの)

集付けの異同は
☆17段29番歌の『古今』
☆85段155番歌の『䔍行哥上句』
☆106段182番歌の『古今』
☆107段185番歌の『古今』
の四箇所が細川文庫本には無い。

細川文庫本の行間勘物はかなり省略されていて
☆6段………照宣公
学習院本等は昭宣公)
☆14段……桒子 蠒也
     東國之習家ヲクタト云家鶏也
☆39段……淳和天皇
☆60段……祇承
☆69段……恬子内親王
☆77段……文德天皇
☆82段……惟喬文德第一母従五位上紀静子名虎女四品号小野宮

の7段9箇所のみ。学習院本の1/4程度。

そして問題の校異の書込みだが、河野美術館蔵実隆筆本・宮内庁書陵部蔵冷泉為和筆本・学習院大学蔵伝定家筆本は次の7段9箇所の校異の書込みが共通して存在することは既に述べた。http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2017/02/27/170047

    或本しりほしの
☆9段……  しほしりの

   [古今]カスカノ
☆12段……  むさしの

      わ一本  ね
☆14段……くりはらのあれはの松

   [古今]ゆきかへり
☆19段……  あまくもの

     一本なみた    らし
☆26段……袖にみなとのさはく哉

     一説よひと
☆69段……  こよひさためよ

   [拾遺万葉]ひさき
☆116段……  はまひさし

細川文庫本はこのうち9段の『或本しりほしの』という校異の書込みが無い。これは行間勘物と一体になっているので行間勘物の省略の際に一緒に省略されたものか。

一方、河野美術館蔵実隆筆本・宮内庁書陵部蔵冷泉為和筆本には無くて細川文庫本と学習院大学蔵伝定家筆本とに共通して存在する校異の書込みは三箇所ある。
       イ無多本
☆5段……いけともえあはて

         トルイ
☆56段……夢地をたのむ

           みイ
☆62段……まさりかほなき 

この他に学習院本にはあって細川文庫本・河野美術館本・冷泉為和筆本には無い校異の書込みは以下の通り。
         はイ
☆9段……やつはしといひける

       なイ無此字
☆52段……かさなりちまき

        しるイ
☆62段……我をはしらすや

     男女イ
☆64段……おとこみそかに

       イ無
☆69段……はたいとあはしとも

      はへたてねとイ
☆74段……山にあらねとも

     いた
☆81段……たいしき

     ※女イ
☆83段……つかはさゝりけり

      ふイ
☆87段……ゑうのすけとも

       するイ
☆87段……いさり火

           にイ
☆87段……わかすむかたの

     レ  ※※らめイ
☆89段……我こひしなは

        らめイ
☆90段……にほふとも

      ウ
☆93段……あふな\/

      た
☆96段……秋まつ

     このイ
☆96段……  女のせうと

       おイ
☆101段……人をほみ

     こイ
☆107段……かのあるしなる人

         てイ無
☆115段……おきのゐて

※この位置だとこの校異は意味不明。室伏信助氏によれば本来94段冒頭の横に貼られていたものが剥がれて誤ってここに貼り直されたものかとのこと。
※※本来90段の歌の横に貼られていたものが剥がれて誤ってここに貼り直されたものかとのこと。ただ新典社版ではここと90段の両方に写っているがその経緯は未詳。

誤貼と思われるものを含め20箇所ある。
細川文庫本と学習院本に共通する校異の書込み3箇所、学習院本だけの校異の書込み20箇所、これらが何時書き込まれたのかを考えてみよう。

池田亀鑑氏は「伊勢物語に就きての研究 研究篇」P40で実隆の日記から明応7年6月2日に実隆が伏見宮邸で定家自筆武田本を見ることができたとし、この時に現在の学習院本への校異の書込みが行われたとの見解を示している。

ただ明応7年6月2日に実隆が定家自筆武田本を借りて二日後の6月4日に返却したのは事実と思うが、この時に果して学習院本がすでに存在していたかどうかは疑問がある。
河野美術館蔵実隆筆本が書かれたのは明応6年だから明応7年に既に学習院本が存在していたなら河野美術館本と学習院本の印象の違いは何なのだろう。ほとんど同じ時期に書かれたのならもっと字体が似るはずだと思うが明らかに学習院本は老人の書いた字であり大永年間頃に書かれたものだと思う。

定家自筆武田本を借りた時まだ学習院本は書かれていなかったとすればおそらく実隆は校合はしただろうが定家自筆天福本に直接書き込むことはせず、手許にあった別の写本に校異を書き込んだのではないか。そして定家自筆天福本を手放した後で校異を書き込んであった写本から学習院本への校異の転写が行われたものと考える。
公条が細川文庫本を書写した時には学習院本にはまだ3箇所しか校異の転写が行われていなかったのか、それとも転写は行われていたが公条が細川文庫本を書写する際に3箇所以外は省略したのかだが、本来天福本にあった校異の書込みは『或本はしりほしの』以外はすべて写しているのだから、武田本との校異の書込みがまだ3箇所しか書かれていなかったと考える方が自然だろう。何故この3箇所だけが早く転写されたのか、他の20箇所の校異の書込みは何時誰が行ったのかはよく判らない。


また河野美術館蔵実隆筆本・学習院大学蔵伝定家筆本・宮内庁書陵部蔵冷泉為和筆本が仮名の選択までよく一致しているのに対して細川文庫本は必ずしも原本と同じ仮名を用いることに拘っておらず、このあたりの書写姿勢の違いからも筆者は実隆ではないと考える。


11番の歌の字母
☆河野美術館本・学習院大蔵本・冷泉為和筆本

春累可奈留宇川乃[山]部乃宇川ゝ尓毛
由女尓毛[人]尓安者奴奈利介利

☆細川文庫本

寸留可奈流宇川乃[山]部能宇川ゝ仁毛
遊女仁毛[人]丹阿八奴奈利介里



なおこの写本は現在九州大学附属図書館のホームページでも閲覧できるようです。

【貴重資料(九大コレクション)】⇒【収録コレクション】⇒【細川文庫】⇒【九大コレクション>貴重資料>細川文庫】⇒「伊勢物語」で検索⇒hosokawa_195で閲覧できます。

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はじめに
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2016/09/23/233024
河野美術館蔵三条西実隆筆本について
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2017/02/27/170047
宮内庁書陵部蔵冷泉為和筆本について
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2017/03/23/151026
伝青蓮院尊鎮親王筆本について
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2017/05/05/032017
九州大学図書館蔵伝藤原為家筆細川文庫本について
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.com/entry/2017/08/06/161433